おくむら文洋Fumihiro Okumura

選挙区昭和区
当選回数8 期
生年月日1951年7月25日 生まれ
住所〒466-0062
名古屋市昭和区狭間町九番地
電話番号052-741-3300
ファックス052-735-0666
学歴・経歴南山大学経済学部卒業
参議院議員森下昭司秘書
議会役職都市消防委員会 委員 / 平成29年度
産業・歴史文化・観光戦略特別委員会 委員 / 平成29年度
土木交通委員会 委員 / 平成28年度
都市活力向上特別委員会 委員 / 平成28年度
教育子ども委員会 委員 / 平成27年度
大都市制度・広域連携促進特別委員会 委員 / 平成27年度
教育子ども委員会 委員 / 平成25年度
大都市制度・広域連携促進特別委員会 / 平成25年度
名港管理組合議会 議長 / 平成21年度
市議会 議長 / 平成13年度
環境水道常任委員会 委員長 / 平成11年度
名古屋市監査委員 / 平成9年度
計画建設常任委員会 委員長 / 平成5年度
党役職党市会議員団 顧問 / 平成29年度
党市会議員団 団長 / 平成28年度
党市会議員団 顧問 / 平成27年度
党市会議員団 顧問 / 平成25年度
党市会議員団 副団長 / 平成21年度
党市会議員団 副団長 / 平成20年度
党市会議員団 団長 / 平成19年度
党市会議員団 団長 / 平成15年度
党市会議員団 団長 / 平成10年度
その他役職
趣味など野球、旅行

政治活動

地元の昭和区は環境に恵まれ、地下鉄網の充実により利便性も高まり、住みやすい地域になりました。しかし、国の規制緩和により商店街や小売市場が減少しています。なんとか活性化を図らねばなりません。
愛知万博が大成功を収め、内向きといわれる名古屋市も大きく変わる好機です。交流を広げ続けていきたいと考えています。同時に、名古屋を世界から注目される特色ある地域にすべく、「先進医療都市・名古屋」の実現に力を入れていきます。

市議を志した理由

学生時代に、本山さんが名古屋市長に当選しました。初の革新市政が誕生した衝撃が、政治家を志す思いにつながりました。大学卒業後すぐに、森下昭司参議院議員の秘書になり、途中、議員が落選した後も7年間一人で勤め、計13年間の秘書生活でした。この間、休日もほとんどなかったのですが、辞めようとは思いませんでした。自分の好きな道でしたので夢を失うこともなく、昭和62年に初当選しました。
妻と二人三脚で議員活動を続けてこれました。最近、二人で鶴舞公園をよく散歩します。妻は散歩中しゃべりっ放しです。彼女の積年の思いを知る大事な45分間です。

市議になって

住環境の良い昭和区で、ワンルームマンション問題が騒がれ始めた頃のことです。私は建築規制を強める条例を提案し、改正がなされました。地域に喜ばれた一方で、業者の方々からお叱りを受けましたが、やがて、その方々からも「地元との交渉がやりやすくなった」と評価されました。また、他地区の見知らぬ方から、突然相談を受けたこともありました。これらの事柄は私に「議員のあるべき姿と責任の広さ」を教えてくれました。
40代で議長になった平成14年、市議会本会議場で名古屋フイルハーモニー交響楽団の演奏会を行いました。議会内に反対意見もありましたが、名古屋の財産である名フィルと市民のつながりを深めたい一念で実現しました。演奏会は評判を呼び、傍聴席は超満員です。演奏後にアンコールを求める拍手が鳴り止みません。大成功した喜びと安堵感は今も忘れられません。
また、イタリア・トリノ市との姉妹都市提携計画を進めるため、私はトリノ市に単身乗り込み、市長に直談判しました。
ゴミ問題などトリノ市と名古屋市の共通性を説明し理解を得て、後に(平成17年)提携がなされたことは嬉しい思い出です。

市民の皆様へのメッセージ

名古屋は変わりつつあります。地域性豊かな名古屋は閉鎖的と誤解されもしましたが、これからは都市間競争が否応なく始まります。住みたくなる魅力ある名古屋市にしていきたいと願っています。
政治は、現在のことを的確に判断し対処することも大事ですが、50年100年先のことを考え行動することも大事なことです。
私の願いは「先進医療都市・名古屋」の実現です。特に、切らずにガンを治す重粒子線治療施設を名古屋に作りたい。乳がんや前立腺ガンなど、術後の悩みは深刻です。重粒子線治療は日本が創り出した最新技術で、すでに千葉と兵庫県が導入し成果を得ています。課題は多いのですが、名古屋の未来を考え特徴あるまちづくりとして、先進医療都市を主張し続けていきます。